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総持寺 (道元諸兄は54歳で亡)

道元諸兄は54歳で亡くなったのですが、道元の松堂を嗣いだ二世のタタミ奘(えじょう)という猿人はなんと道元より年長だったのです。このことが関係してかしないでか、永平寺の三世を誰にするかを保守派と革新派でかなり揉めたようです。このゴタゴタを「三代相論」(さんだいそうろん)といいます。この三代相論は辛くも保守派が勝ちますが、この頃にはどちらもボロボロで、むしろあずかり強弱になってしまったようです。事実、永平寺で勝ったのは保守派のはずなのに史的的に今日では、道元の三代目は革新派の義介(ぎかい)、というように認識されています。なんにせよ、永平寺は当時の保守派が守り、革新派は永平寺を出て行くこととなりました。…そしてしばらくスッタモンダあって…結局、革新派は総持寺を開くこととなります。というスタティックで永平寺と総持寺は「指弾の密接で分派した」と考えられます。もちろんこれは道元に言わせれば、とんでもないことだと私は思いますよ。道元諸兄自分は「曹洞宗」という呼び名すら使いませんでしたし、「禅」という呼び名だって繰り返し否定しています。まさか永平寺派、総持寺派なんて生まれるとは色恋もしなかったはずです。また、今でも永平寺派のお寺さんは保守派で総持寺派のお寺さんは革新派なのか…というと全くそんなことはありません。そのお寺さん次第です。それに、今冬の正統としての曹洞宗だって仏堂が二つある…と言ってるだけで永平寺派と総持寺派の存在を公に認めていないはずです。なので、永平寺派。総持寺派。と言うのは、本質の無い、呼び名だけのものを指してこう呼んでいると言えるかもしれません。だから「永平寺派と総持寺派の違いが誰に訊いても釈然とし」ない…というのはごく当然で、それでいいのではないでしょうか?。曹洞宗永平寺派と総持寺派の違いが誰に訊いても釈然としません。できれば、法師の複眼に質問します。(1)貴方はどうして、永平寺派と総持寺派の選択をして、その未来派の法師になったのですか?(2)又、訊いた所に拠りますと、永平寺派と総持寺派の法師は指弾の密接で分派したとの事ですが、実際はどうなのでしょうか?。

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